自力で健康を目指す天邪鬼

自力で健康を目指す天邪鬼

健康な生体は秩序化されたもの。部分でなく全体をみるホリスティックな視点で健康情報をお届けします。

食事療法の疑問・・・食べたもので体はできていると言うけれど

肉を減らしたことで便通が改善した

 私の詳しいプロフィール記事で触れていますが、もう10年も前になりますが、副腎腫瘍が見つかり、それを何とか食事療法で解決しようと努力していた時期がありました。腫瘍ができた原因を、乱れた食生活にあると考えていました。東京近辺でずっと一人暮らし、食事は自炊せずに外食かコンビに弁当ですませ、腹を満たせばそれでOKという感覚でしかなかったのです。

 ただ、この乱れた食生活を見直そうと思いはしたものの、特に勉強したわけでもなく、自炊をする、肉をやめる、野菜をたくさん食べる、魚を少し・・・という感じでした。一応、このおかげで便通はだいぶ改善しました。それまで、バナナのような便なんて出たことはなく、下痢と便秘を繰り返し、気絶しそうなほどひどい腹痛に悩まされることもありましたが、肉を摂らなくなったことが便通改善の大きな要因だと思っています。

甲田療法との出会い

 しかし、その程度の食事内容は当たり前のことであって、とても療法とは言えず、腫瘍が小さくなることはありません。その後、死ぬかと思ったほどの強烈な発作に見舞われることになります。これがきっかけで、本格的に書籍やネットで食事療法を調べ始めました。

 最初は石原結實さんの「人参りんごジュース」「生姜紅茶」「少食」の実践です。その後ゲルソン療法を知り、人参ジュースは、手が黄色になるほどたくさん飲むこともありました。ただし、いずれも素人が中途半端な知識で実践している感は拭えません。このときは知った療法を手当たり次第に試していました。(今考えると馬鹿げています)

 そして、甲田療法を詳しく解説しているサイトを見つけ、実直に実践していくことになります。甲田療法は約8ヶ月間実践しました。

 甲田式の食生活の基本方針は「少食」です。とても特殊で継続実践するのが難しいです。その食事内容は、5種類ほどの葉野菜を低速圧搾式ジューサーで絞った青汁、大根・人参・山芋のすりおろし、生玄米をミルサーで挽いた粉と黒すりゴマ、豆腐となってます。そして分量が厳格に決まっており、これを一日に二食で1200kcalまでとなっています。メニューの変化は、葉野菜の種類が変わるだけで、ほぼ毎食同じです。さらに、断食を行います。私は毎週日曜日に一日断食を行っていました。断食前後の食事は、いつもより量を減らします。

 この食事を半年以上もよく頑張れたなと我ながら感心します。少食なのでげっそりと痩せました。60kg以上あった体重は一時45kgまで落ちました。あばら骨は浮き出ておなかは凹み、なんだか90歳以上の老人、あるいは、貧困国の難民のような体型でした。時折、歩行困難になるほど気分が悪くなることもありました。

 ただ、甲田療法については、人によっては体質改善できる可能性があるように思います。甲田療法には運動療法もあるのですが、私の場合運動するとすぐに発作が出たので実践できず、また諸事情により改善する前に手術してしまったので、実際のところはよく分かりません。

食事療法への疑問

  手術で腫瘍を除いたことで症状は出なくなりましたが、別に体質が変わったわけではありません。つまり腫瘍ができる前と同じライフスタイルだと、再発は目に見えています。だから安易に甲田療法をやめるわけにはいきませんでした。

 しかし、甲田療法を続けて半年以上経ったころ、この食事療法に疑問を持ち始めていました。このつらい食養生をいつまで続ければ良いのかと。体質改善したかどうかをどうやって判断すればよいのかと。痩せ過ぎが原因と思われる、うまく表現できない気分の悪い症状もたまに出ます。運動などとてもできる状態ではありません。ためしにウォーキングしたところ、途中で気分が悪くなり冷や汗だらだら流して、近くにあったベンチに2時間横になっていたことがあります。

 そのころ、SNSにて健康をサポートする側の立場のかたとお知り合いになりました。後で知るのですが、生態自然療法の指導者でした。その方とお話ししていて、すごくタイムリーに共感できたことは、食事療法は薬物療法と思想は同じということです。結局、どちらも栄養素・その他物質でもって体をコントロールしようとするものです。精製の度合いが違うだけです。薬は副作用があるけど、食事療法はそれがない、その程度の差です。私は薬物にたいして良くない印象を持っていましたが、特殊な食事療法も同じようなものだと思うようになっていました。

 そこで、徐々に普通の食事内容に戻すことにしました。しかし、これが容易ではありません。ずっと厳格に守り続けてきた食事内容、これと少しでも違う食材・料理を食べると、強い罪悪感・恐怖心が出てきたのです。「ほんとにこんなもの食べていいのだろうか」と。長期間の厳格な食事療法が自縄自縛の状態を招いていたのです。

 もうそのときから5年も経っていますが、今も少しこの感覚が残っています。まだ完全にはぬぐい切れていません。聞いた話では、私だけでなく、厳格な食事療法をした人が元に戻すとき、よくあることだそうです。

秩序ある生体は物質だけでは決まらない?

 世間では、「食べたもので体はできている」といわれます。それはおおむね正しいと思うのですが、重要な視点が抜けているようにも思うのです。体の構成要素のほかに必要なものがあるのではないでしょうか?

 たとえば、自動車が走るためにはガソリンが必要ですよね。もちろんエンジンも必要です。しかしです、この両者があるだけでは車は動きませんよ。トリガーとなる事象が必要です。鍵を回してプラグをスパークさせることです! そうすることで初めてエンジンが動きだします。

  生体も同じことが言えませんか? 食事で原料をとっても、それが体の構成物質になるかどうかは、別の要素が必要でしょう! 体が必要と思えば栄養素を有効利用するし、不要と判断すれば使わずに体外に排泄されるでしょう。もし食事で摂ったものがすべて体の一部になるのであれば、例えば牛肉を食べたら人間の体は牛になっているはずでしょう。そんなことはありませんが。

  もちろん、悪い食べ物は避けるべきですが、良い食べ物をたくさん摂とうろする考えは不要だと思うのです。食に対する私の考えはその程度になってきたので、今では甲田療法をしていたときに比べると、ずいぶんと不浄な食事になっています(笑)。添加物や劣化した油脂を摂り過ぎなければ大丈夫だろう、という感覚です。経済的に余裕があれば、無肥料・無農薬の自然栽培の野菜とか、平飼いの卵とか、遺伝子組み換えされていない食材とか、そういうものを選ぶのが良いことは、そのとおりだと思います。

 私は、一つのバランスある生体を維持するのは、氣とかエネルギーといったような、物質とはかけ離れた何か見えない力の働きによると思います。容易に証明することはできませんけどね。